18.第9回面白白樺倶楽部 「柳先生の思い出」

村山祥峰先生
やや旧聞となりましたが、さる2月10日 陶芸教室ゲーテ庵を船橋市で主宰されている斎藤一二さん(83歳)に柳宗悦夫妻の思い出を語っていただいた。
柳夫妻との関係については、白樺便り第5号にてご案内済みですが、今回は、戦後間もない昭和21年1月(1946年)に、千葉県九十九里浜に程近い斎藤一二さん宅にて、「手仕事の日本」の執筆のため過ごした柳宗悦にまつわる数々のエピソードを伺った。

斎藤さんは、昭和14年 専修大学時代に、柳宗悦の講義を受け、深く感銘して以来駒場の柳宗悦宅に日参し、日本民芸館へは顔パスで入場するほどの、柳宗悦夫妻と深い師弟関係を結んだ。
昭和20年斎藤さんは戦地から無事復員報告のため駒場の柳宅訪問の際、執筆のための避暑地を探していることを知り、柳に東京より温暖な自宅(千葉県山武郡緑海村)の提供を申し出た。

昭和21年1月3日、柳宗悦を迎えに行き、柳宅に泊めてもらい、黄色の茶碗で食事をし、後日それが黄瀬戸の逸品であったことを懐かしそうに話された。
極端な物不足の時代ながら、斎藤さん宅では家族も食べない白米のご飯を先生にお出しした。この時期、まざり気のない新米の白飯と、とりたて野菜を食べられる喜びを到着したその日に書いた兼子夫人あての手紙に詳しく述べられており、ほほえましい限りである。(柳宗悦全集第22巻下156P)

柳の執筆のあいまに海岸を散歩し、「斎藤君、芸術の理解は新しい創造であるんだよ。」という言葉は今でも深く心に刻まれているとのこと。
斎藤さんは一時期作曲者を目指しており、兼子夫人に相談したところ「あなたは音楽を楽しむほうになさい」と作曲者への夢をあえなくつぶされ、サラリーマンになったことなどをユーモアまじりに語られた。