26.第11回面白白樺倶楽部開催報告

平成14年4月14日(日)「白樺派ゆかりの地を語る。」
講師 山本鉱太郎(旅行作家)

写真:山本鉱太郎先生
山本先生は、作家生活50年を超え、本業の執筆活動のみならず、オペラ「手賀沼讃歌」「智恵子抄」などの劇作、講演、「流山市立博物館友の会」など、多くの地域文化活動に足跡をのこされています。主な著作としては『水戸街道繁盛記』(上・下巻)、『新利根川図誌』(上・下巻)他多数で全集まで発刊されています。
いつもは我孫子と白樺派のお話が中心でしたが、今回は白樺派の文人は全国各地でどんな活動をなし、その地といかなる関連があったのかなどについて語っていただきました。
同人雑誌『白樺』は明治43年(1910)に発刊されましたが、この年は幸徳秋水の大逆事件があり、日韓併合条約が締結されています。こうした時代に理想主義をかざした、学習院高等科在学生などの若者により、文学、美術など西欧文化の香り高い雑誌『白樺』が創刊されたのでした。
これら白樺同人のなかから志賀直哉、武者小路実篤、柳宗悦、バーナード・リーチなどと各地の結びつきなどを、先生の力作、白樺派ゆかりの関連地図に沿って訪ねることとしました。


志賀直哉 --- 生涯の傑作の大部分と『暗夜行路』の後編まで執筆した地我孫子とのかかわりは別として、明治45年尾道に下宿した志賀は、四国へ渡る船中にて『清兵衛と瓢箪』のヒントを得ます。尾道港の美しい風景はどこか生まれ故郷の石巻を思わせたのでしょうか。しかしここの滞在も早々と切り上げ、東京に戻りましたが、山手線の電車にはねられ、重傷を負います。その怪我の療養のため、城崎温泉に滞在、後ここでの体験をもとに名作『城の崎にて』を書き上げました。『焚き火』を書いた結婚直後の赤城山、『暗夜行路』最終章の舞台鳥取の伯耆大山など直哉が暮らし旅した地は、その作品の中に生かされ、今も文学愛好者の訪ねる名所となっています。

武者小路実篤 --- 大正7年9月15日(1918)ここ我孫子から九州宮崎県日向村へ新しき村の建設のために、出発します。理想の原始共産社会を目指した共同生活は、多くの困難を乗り越え、昭和14年(1939)埼玉県毛呂山町へ移転し、現在にいたっています。

柳宗悦 --- 大分県日田市皿山は長い間古くからの李朝の製法を守り続けてきた小鹿田(おんた)焼きの場所で、サッカ−のカメルーンチームが泊まった中津江村の近くです。ここは柳宗悦に見出され、B・リーチも滞在しています。濱田庄司、B・リーチゆかりの地は、北から栃木県益子、我孫子はもちろん、島根県の布志名、出西、袖師焼き、沖縄八重山、石垣、などです。
その他民芸活動がその地に根づいた例として、鳥取県は手漉き和紙の出雲、長野県は民芸家具の松本、静岡県は遠州葛布の掛川、袋井、芹沢_介美術館の静岡市などがあります。
「人は誰に出会うか」が大変重要であり、彼等白樺派の同人は日本各地の人々との交流により民芸運動などを精力的に推進し、現在もなおその息吹が受け継がれているということがよく理解できました。
また居ながらにして、全国各地を旅する素敵に贅沢なひと時でもありましたことを付記させていただきます。