37.第18回面白白樺倶楽部開催報告

2002年22月8日(金) 「柳宗悦と柳田國男」(ビデオ鑑賞)
講師 地域社会史研究家 高木繁吉

1875年  柳田(松岡)國男 兵庫に生まれる 
1887年  柳田國男 布佐に移住
1889年  柳宗悦 東京に生まれる
1914年  柳宗悦 我孫子に移住

柳田國男と柳宗悦、彼らには13歳の年齢の開きがあります。しかし一方で、二人には、一時期手賀沼のほとりに居を定め、暮らしたという共通点もあります・・・。果たしてこの二人に、接点はあったのでしょうか・・・?

高木講師
熱弁の高木講師
11月の「面白白樺倶楽部」は、おなじみの郷土史研究家・高木繁吉氏を講師にお迎えして、「柳宗悦と柳田國男」と題し、二人の業績をまとめたビデオ鑑賞を中心にお話をうかがいました。
この著名な二人については、「手賀沼」を共通のキーワードと見て語ることもできますが、高木氏のお話によると、さらにいくつかの共通点があるようです。


まずは、柳宗悦の生涯を紹介するビデオから・・・。(このビデオは、紀伊国屋書店ビデオ評伝シリーズ『学問と情熱』の中の一巻です。)その生い立ち、若き日々の「白樺派」同人や、バーナード・リーチとの交流、やがて浅川伯教・巧兄弟との出会いを通して朝鮮陶磁に惹かれていく過程などが語られ、それらが最終的には〈民芸運動〉となって結実していくという内容でした。さらに彼の関心は、木喰仏や沖縄、アイヌ、台湾、中国の美術にまで広がっていきます。「美」を追い求めて、彼の意識は軽々と国境も超えていったことがよくわかります。

ビデオ学習スナップ
ビデオ学習スナップ
次に見た柳田國男のビデオは、その作製段階から、本日の講師・高木氏も深く関わっていらっしゃったということです。柳田の抒情性がどのような体験を通して培われたものであったのか・・・というところに焦点をあてて、ドラマチックな展開となっているたいへん面白いビデオでした。柳田は、若き日に暮らした布佐で、ひとりの女性に巡り会っており、その女性との恋が彼の「うたごころ」の基礎をつくり、やがて、彼の民俗学を方向づけるものとなっていったのです。高木氏は、柳田の研究をするにあたり、その女性との恋を追っていくことになるのですが、そのきっかけとなったのが、作家・岡谷公二氏の「高木君、男は人生が変わるような恋をするときがあるんだよ。」というひとことだった由・・・。確かに詩的抒情性豊かな「遠野物語」は、文学としても読むことのできる名著であると、三島由紀夫も高く評価しています。さらに柳田は、南方熊楠を通して外国の民俗学にも目を向け、また沖縄の固有信仰に関心を持ち、壮大な仮説のもとに「海上の道」を書き上げます。彼の生い立ちや、青年期の恋が、彼の心の中にロマンの種を宿し、それが〈柳田民俗学〉となって実を結んだということなのでしょう。

結婚当時の宗悦と兼子
結婚当時の宗悦と兼子
(平凡社ライブラリー柳宗悦より)
二人の生涯から共通点として拾い出せることのひとつは、二人とも豊かな感受性や想像力に恵まれていたこと、そしてもうひとつは地域の生活の中から生み出された文化や美術を慈しもうとする姿勢があったこと、といえるでしょう。この二人が、手賀沼のほとりに暮らしたことを縁として、ともに仕事をする機会があったなら、その成果はどんなにすばらしいものとなっていたでしょう・・・。しかし、残念ながら、二人はわずか一度、座談会で顔を合わせたことがあるのみだということです。

左から一人おいて柳田國男、田山花袋
左から一人おいて柳田國男、田山花袋
(高島屋・手賀沼を愛した文人展より)
また、柳田國男については、研究論文や評伝などもたくさんある一方で、柳宗悦に関してはまだまだ研究されていないため、二人を並べて比較することが難しい点もあるとのことでした。

柳宗悦のビデオの最後、柳兼子(柳宗悦の妻)のアルトの歌声「埴生の宿」に耳を傾け、また柳田のビデオの中、水鳥の浮かぶ美しい手賀沼風景に見入るうち、おのずと我々も、この我孫子の地の歴史、文化に思いを馳せるひとときとなったことでした。