43.2月20日を迎えて

-- 小林多喜二没後70年、志賀直哉生誕120年 --

小林多喜二
新潮日本文学アルバム
(小林多喜二より)
プロレタリア文学作家・小林多喜二は、明治36年(1903)秋田県大館市で生まれました。
実家は貧しい自作農兼小作で、多喜二4歳の時、その一家は北海道小樽に渡ります。

その後、小樽高商(現小樽商科大学)入学、1年下に後の作家伊藤整がいました。卒業後北海道拓殖銀行勤務。小説絵画を愛しつつも、社会の底辺の人々に目を向け、次第に労働運動と社会主義思想に影響を受け、やがて直接運動に参加するようになります。

昭和4年(1929)に発表した「蟹工船」が文壇で注目を浴び、彼の代表作となりました。

当時の小樽高商
当時の小樽高商

小林多喜二文学碑
小林多喜二文学碑 小樽市旭展望台
展望台から小樽市内
展望台から小樽市内


1933年(昭和8年)2月20日小林多喜二は、当時の特高警察に捕らえられ、ひどい拷問によって築地の警察署で殺されました。
この日はまた、生前の多喜二がこよなく敬愛した志賀直哉50歳(1883年2月20日生)の誕生日でもありました。

「私は小説をかくことが、あんなにおっかないことだとはおもってもみなかった。あの多喜二が小説書いて殺されるなんて、、、、」「わたしはねえ、なんぼしてもわからんことがあった。多喜二がどれほどの極悪人だからと言って、捕らえていきなり竹刀で殴ったり、千枚通しでももだば(ふとももを)めったやたらに刺し通して、殺していいもんだべか。警察は裁判にもかけないでいきなり殺してもいいもんだべか。これがどうにもわかんない」

小林多喜二の母セキが吐いた言葉です。(三浦綾子 著「母」より)
多喜二の母のこの言葉は、民主主義を完全否定して人権を無視した者たちへの重い告発の言葉です。  わずか30歳の若さで逝った小林多喜二の数少ない手紙の一通が、白樺文学館に展示されています。
当時の中央公論編集部の雨宮庸蔵氏に宛てたこの手紙は、静かで丁寧な筆運びで、清潔な雰囲気に満ちています。

中央公論編集部の雨宮庸三氏宛の手紙 中央公論編集部の雨宮庸三氏宛の手紙
中央公論編集部の雨宮庸蔵氏宛の手紙
(画像をクリックすると拡大します)

近年、小林多喜二のゆかりの地である小樽では、多喜二の手紙を市民が資金を出し合って購入したそうです。あの暗い時代に突入していく昭和の初期、小林多喜二と志賀直哉との間に交流がありました。

多喜二は最も尊敬していた志賀直哉に自分の作品の批評を求め、この求めに応じて志賀直哉が丁寧な返事を書き送っています。この貴重な手紙が多喜二の手紙と共に白樺文学館に展示されています。文面からは志賀直哉の、将来ある若い小林多喜二に対する厳しくも大きな愛情が読み取れます。
またこの手紙は、志賀直哉の文学に対する態度が顕われているものとして、近世文学史上でも著名な手紙としても知られています。
志賀直哉から小林多喜二宛
(1931年8月7日付け志賀直哉から小林多喜二宛)手紙の内容はこちら

この小林多喜二と志賀直哉のやり取りの後、多喜二は痛ましい死へと追い込まれていくのですが、多喜二が亡くなった日が、志賀直哉の五十歳の誕生日であった事に、志賀直哉はことさらの思いに駆られ、日記に次のように記しています。
1933年(昭和8年)2月20日付け他日記より(岩波志賀直哉全集より)
また、多喜二の死を悼んで、多喜二の母に丁寧なお悔やみの手紙を書き送っています。

二月二十二日 水

ヒル頃茶谷宅を小野と出る、歌ブキ座の新派を見る 井上、水谷の『紙芝居』よし、前夜より眠らず疲れる、福喜にて夜食 小野と別れてかへる、疲労にてぐっすり眠る、小林多キ二捕らえられ、悶死の記事あり

二月二十四日 金

雨、春らしく暖かなり、午后英子より手紙、副島○○の水力の話乗気との事誠に呆れたり、加地さんそんなベラボーな話があるかと怒られし由、正に同感なり、母上に来て頂き話し、直ちに英子へ電話、松村に相談の事をいふ、夜小林多キ二の母にクヤミの手紙を書く、

二月二十五日 土

午后、若山 加納来て麻雀、夜二時頃までやる
<MEMO 小林多喜二二月二十日(余の誕生日)に捕らえられ死す、警察に殺されたるらし、実に不愉快、一度きり会わぬが自分は小林よりよき印象をうけ好きなり アンタンたる気持になる、不図彼等の意図ものになるべしといふ気する、>

(志賀直哉から小林多喜二の母セキ宛 お悔やみの手紙)
2月24日 小林せき[小林多喜二母]宛

拝呈 御令息御死去の趣き新聞にて承知誠に悲しく感じました。前途ある作家としても実に惜しく、又お会ひした事は一度でありますが人間として親しい感じを持って居ります。不自然なる御死去の様子を考へアンタンたる気持になりました。
御面会の折にも同君帰られぬ夜などの場合貴女様御心配の事お話しあり、その事など憶ひ出し一層御心中お察し申上げて居ります。同封のものにて御花お供へ頂きます。


この痛ましい事件から、
まだ70年しか経っていないのです....。

   小林多喜二 1903年(明治36年)10月13日生まれ。
         2003年10月13日   生誕100年