63.「学習院の絆 -- 白樺派と三島由紀夫 --」

第27回面白白樺倶楽部開催報告 平成15年8月8日(金)
講師 中央学院大学・日本橋学館大学講師 文学博士
杉山欣也

講師の杉山先生
講師の杉山先生(クリックで拡大
講師の杉山先生は1968年、静岡県生まれで、 金沢大学文学部卒業後、2002年、筑波大学大学院博士課程文芸言語研究科修了さ れ文学博士です。
現在、中央学院大学・日本橋学館大学の講師をされています。 三島由紀夫を中心に、近代日本の戦争SFなどの研究で論文が多数ありますが、最新 論文等のタイトルとしては「『焔の幻影』にみる三島由紀夫−初期三島の〈場〉に関 する一考察」(2003・3『昭和文学研究』)「《鴎外伝説》の死と三島由紀夫」 (2003・3『決定版 三島由紀夫全集』28巻月報) などがあり、今後の活動 が最も嘱望されている、若手文学研究者の一人です。

「私が皆さんの中では、おそらく一番若いと思うので、たいへんつらい立場なのですが・・・」と、聴衆の笑いを誘いながら、若手の三島由紀夫研究者・杉山欣也先生(文学博士)が、今宵、白樺派と三島の関連性(絆)について語ってくださいました。
三島由紀夫は、大正14年生まれ、彼の満年齢はちょうど昭和の年号と一致します。
思わず講演に聞き入る
講師より年齢がやや高い世代の方々
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三島の活躍や、その衝撃的な死が、昭和という時代を象徴するかのように、強烈な思い出となって記憶の中に刻印されている ・・・聞き手の中にも、そういった世代の方が多かったように見受けられました。
一方、三島が亡くなった時には2歳だったという杉山先生ですが、鮮やかに作品分析をされながら、現在教えている学生に話が及ぶと、その語り口はあたたかく、ご講演後、聴衆一同さわやかな感動に包まれました。以下は、そのお話の一部をご紹介するものです。
白樺派のイメージというと"大正時代の学習院出身者を中心にした理想主義文学"といったところでしょうか。しかし、白樺派を代表する作家、志賀直哉の初期作品に「剃刀」という短編があるのですが、それにちょっと着目してみましょう。

傷は五厘程もない。彼は只それを見詰めて立った。薄く削がれた跡は最初乳白色をして居たが、ヂッと淡い虹がにじむと、見る見る血が盛り上がって来た。彼は見詰めていた。血が黒ずんで球形に盛り上がって来た。それが頂点に達した時に球は崩れてスイと一ト筋に流れた。此時彼には一種の荒々しい感情が起った。
嘗て客の顔を傷つけた事のなかった芳三郎には、此感情が非常な強さで迫って来た。呼吸は段々忙しくなる。彼の全身全心は全く傷に吸い込まれたように見えた。
今はどうにもそれに打ち克つ事が出来なくなった。・・・彼は剃刀を逆手に持ちかえるといきなりぐいと咽をやった。刃がすっかり隠れる程に。若者は身悶えも仕なかった。(志賀直哉「剃刀」 明治43年6月)

これは、明治43年、志賀27歳の時に書かれたものですが、後の志賀の代表作「城の崎にて」「暗夜行路」「和解」といった作品とは全く趣を異にする、暗い残忍な衝動が描かれています。
白樺第1巻第1号
思わず講演に聞き入る
郡虎彦(萱野二十一)が投稿した
白樺第1巻第1号(上)
とその目次(下)(クリックで拡大)
また、やはり白樺派ですが、若くして渡欧し、彼の地で夭逝したため、あまり知られていない作家に郡虎彦(こおり とらひこ・雑誌『白樺』での筆名は萱野二十一・かやの はたかず)という青年がいました。彼もまた病的な心理を描いた作品「松山一家」(明治43年)で、雑誌『太陽』の懸賞小説に当選し、文壇デビューをします。さらにその後、「道成寺」(明治45年)「鉄輪」(かなわ・大正2年)などの耽美的怪異劇を書いていくのですが、彼の作品に対する評価は、当時の白樺派内部でもさまざまだったようです。
しかし、後に三島由紀夫が文壇に登場したとき、武者小路実篤が周囲の人に漏らした興味深い感想があります。
「三島君が世に出た頃、まるで郡の生れかわりだね、と仲間で話したものだ。」「郡が死んで何年かたって、学習院にひとりの知己を得た。それは三島由紀夫君だった。郡がしたいと思ってできなかったところを、三島君は実現したようにもみられないことはない。」など・・・。

大正時代の若き日の志賀、郡虎彦、そして昭和時代の三島・・・、三者が共通して描いた暗く、不気味な世界があります。
三島自身が残した「『仮面の告白』ノート」の、次のような記述を参照してみましょう。

この本は私が今までそこに住んでいた死の領域へ遺そうとする遺書だ。この本を書くことは私にとって裏返しの自殺だ。飛込自殺を映画にとったフィルムを逆にまわすと、猛烈な速度で谷底から崖の上へ自殺者が飛び上がって生き返る。この本を書くことによって私が試みたのは、そういう生の回復術である。(「『仮面の告白』ノート」『仮面の告白』 月報)

これは、「書く」という行為によって、自らの内面に秩序を与え、病的な暗い部分を芸術の域に昇華していったということなのでしょう。すなわち、内なる思いを言葉にすること・・・"言葉の力"が、彼にとってひとつの救済となって作用したわけです。
それは、若い日の志賀にとっても、また郡虎彦にとってもそうだったと言えるでしょう。

さらに、現代に生きる我々すべて、特に若者にとって、自らの思いを言葉にすることが、生き抜く上でいかに大きな力になるか・・・。時には自分自身にも測りがたい、心の闇の部分を言葉にしようと苦闘することによって、人は生きる力を身に付けていくのかもしれません。 世界の中に自分をどう位置づけたらよいのか・・・この問に、現代という時代は答える術を持ちません。しかし、そうであれば逆に、今こそ"言葉の力"ひいては"文学の力"が必要とされているのだともいえるでしょう。
杉山講師との懇談会
杉山講師との懇談会(クリックで拡大
手賀沼畔の学舎で、学生に国語表現を教える意味を、杉山先生はこう語ってくださいました。
手賀沼のほとりに『白樺文学館』はあります・・・。書架には本が並び、手書きの原稿がひっそりと展示されています。かつて、やはりここで、思いを言葉にしようと苦闘した若者達がいたことの証です。(西村さち子)