80. 「柳兼子カレー考証」 ― 文人の食卓(3)―

第31回面白白樺倶楽部開催報告

平成15年12月12日(金)
講師 京北スーパー相談役 石戸孝行

講師 高木繁吉先生
フェラガモ製鴨絵柄のネクタイ
幼い頃に五感に刻みつけられた記憶は、その後長い年月がたち、すっかり忘れていたようでも、ふとした瞬間に強烈によみがえってくるもののようです。"どこかで見た""いつか聞いた"という感触は、子供時代の原体験に起因していることが多いのです。  子供の頃、家で食した家庭料理の味もまた然り。特に、中高年世代にとって、子供の頃食べたカレーライスは、あの独特の香りと味をもつ"ごちそう"として、ひとつの想い出の風景になっているのではないでしょうか。大人になっても、カレーを食すたびによみがえってくる場面、人々、会話・・・。
石戸講師の写真
毎度おなじみの石戸講師(クリックで拡大
そんな体験を、鮮やかな筆致で描き出したのは、向田邦子の名作「父の詫び状」(昔カレー)です。また、井上靖は、その自伝的小説「しろばんば」の中で、洪作少年が、成績表を家に持ち帰る学期末、土蔵で少年の帰りを待つおぬいばあさんが、いつもその日はカレーを煮て彼を迎えた風景を描いています。これから長い休暇が始まる、その開放感や一抹の空虚感のようなものが、土蔵から漂ってくるカレーの匂いとともに、洪作の心の中に、少年の日の記憶となって結晶していくのです。 というわけで、今年も「白樺文学館」恒例のカレー・パーティの日がやってきました。

講演を聴く参加者の写真
いい香りだなぁ

今から90年近く前、当地我孫子で、まだ新婚の柳宗悦・兼子夫妻が食したという"味噌カレー"を、今年も再現、味わってみましょう!という試みです。講師は、これも毎年おなじみ、大手食品会社取締役として、食材や調理法には格別のこだわりをお持ちの石戸孝行さんです。
 「柳兼子カレー考証」と銘打ったこの催しも、今回で3回目・・・そもそもの始まりは、「柳宗悦全集 第二巻」月報に、柳兼子の談話として以下のような話が載っていたことが発端でした。

当時の我孫子は、ほんとに何もないとこでした。魚屋も八百屋もない。ヤとつくものはお豆腐屋が一軒あっただけでした。それで、缶詰を売っている店で福神漬を買い、鳥肉の片身でカレーライスして食べました。(要約)


洋風料理を作ろうといっても、素材も手に入りにくく、調理法もよくわからなかった時代、柳家に限らず、おそらく個々の家庭で工夫されたメニュ―が登場したことでしょう。

さて、現代によみがえった大正時代のカレー、その味や如何に・・・?
本日の材料は、以下の通りです。
○肉 本鴨肉 (志賀直哉が、鴨を手土産として持って訪れたというエピソードから) ○玉葱 兵庫県淡路産 水分の多い柔らかな玉葱 ○ジャガイモ 北海道雨竜郡幌加内町産 男爵 ○人参 茨城県美野里町産 ○味噌 信州味噌 無添加 低温熟成 ○薬味 福神漬け 1885年(明治18年)「酒悦」の野田清左衛門が考案したもの ○塩らっきょう    

ビデオの解説をする石戸講師
志賀と鴨がやってきてオペラは始まった
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試食の前に、石戸講師より、日本におけるカレーの歴史、材料の変遷などについての講演があり、また16年前に石戸さんが実行委員長になって企画し、大成功をおさめた「オペラ手賀沼讃歌」の一部ビデオ上映などもありました。このオペラは、第三幕冒頭で志賀直哉が、手土産に鴨を持って柳家を訪れる、という場面から始まるのです。したがって、本日のカレーには、鴨肉を使用することになったという次第です。
鴨入り味噌風味カレーの写真
真正真鴨(否合鴨)入り味噌風味カレー
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試食風景1
香もいいが味もいい!(クリックで拡大
試食風景2
あら!ショージ君かしら?(クリックで拡大
お話をお聞きする間も、大鍋で持ち込まれたすでによく煮込まれたカレーを、スタッフが焦げ付かないようにかき回しながら温め続け、会場中にはカレーの良い香りが充満・・・。本日だけは、拍手喝采のうちに講演も早めに切り上げられ、いよいよ試食タイムとなりました。
 
カレーといえば"辛い"というイメージが定着していますが、今日のカレーの第一印象は"甘い!"肉や野菜の甘みがよく溶け出したまろやかな風味がありました。今年の納会を兼ねてビールも振る舞われ、この一年間の文学館活動を振り返りながら楽しい食事会が行なわれました。

漫画家・東海林さだお氏が『週刊朝日』に連載している「丸かじり」シリーズは、たいへんファンの多い、人気のある食べ物エッセイですが、平成6年「マツタケの丸かじり」中に、"衝撃の味噌カレー"という項があります。"味噌を投入したカレーは実に美味しい、前人未踏、空前絶後の味噌味カレー"と、氏は評していますが、実は味噌カレーは"前人未踏"ではなかったのですね・・・。90年近く前に、すでに柳兼子さんが作っていたのですヨ!と、おもわずショージ君に教えてあげたくなった、本日の美味しい味噌カレーでした。東海林さん、もしよかったら、ぜひ来年「白樺文学館」の味噌カレー試食にお出でくださいネ! (西村さち子)