87.「白樺派の休日」

第34回面白白樺倶楽部開催報告

平成16年3月12日(金)
講師 北海道教育大学講師 文学博士 亀井志乃

今年は、暖冬の影響で、桜の開花予想も例年より早まっているそうです。 文学館前の小道沿いの梅やモクレンも次々に花をつけ、散策する人の目を楽しませてくれています。
この春景色の我孫子に、今回は遠く北海道から、若手文学研究者、亀井志乃先生をお迎えしました。
先生には、雪なお深い地からお出でいただいたためか、春浅い手賀沼のたたずまいを、ことのほか喜んでくださったようです。

写真:講師の亀井志乃先生
若々しくさわやかな亀井先生

先生は、北海道生まれ、北海道育ち。北海道大学で博士課程を終えられた後、現在は北海道教育大学で 講師をされながら、研究活動を続けていらっしゃいます。
主な論文には、「<学習院>の青年たち―『白樺』前史・武者小路実篤を中心に」(『文学』(岩波書店)平成14年11月掲載)などがあります。
また、今回の「面白白樺倶楽部」のレポートは、先生自らまとめてくださったものです。(ありがとうございました!)
参加者一同も、先生のお話をたいへん楽しくうかがい、講演終了後も、熱心に意見交換がなされました。
以下、先生のまとめをそのまま掲載させていただきます。

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"面白白樺倶楽部"3月のテーマは、講師・亀井志乃による『白樺派の休日〈演劇編〉』でした。
「白樺派の休日」とは、“雑誌『白樺』同人たちの普段の生活”という意味あいで名づけたタイトルです。 今回は、主に同時代の演劇との関わりを中心に、若き日の彼らの、生き生きとした好奇心や関心の幅広さについてご紹介いたしました。

まず、最初に取り上げた話題は白樺派の隠し芸です。
明治四十四年、洋行する友人のために開いた送別会で、彼らが披露した芸はそれぞれに多彩でした。 オペラの独唱やオペレッタの道化役者の物まね、歌舞伎役者の声色等々。でも、いったい、 彼らは、どこでそんなものを覚えたのでしょう?話は、その疑問の答えを探すかたちで展開してゆきました。

写真:講演中の亀井志乃先生
「ここがゲーテ座」と地図で示しながら。
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時には三々五々と分かれて、また時には大勢一緒に、彼らがどんな所に行っていたかと言うと…。 例えば、ある時は、開港地・横浜のゲーテ座。山手地区にあった居留地の西洋人のための劇場に、 彼らは紛れ込むようにしてバンドマン一座のオペレッタを見物していました。
このバンドマン、実は、後年の浅草オペラの源流ともなった、イギリスの喜歌劇一座のことだったのです。 オペレッタ・ファンの外国青年たちがにぎやかに舞台をはやす中、彼らも、夢中になってステージを見つめていました。

また、ある日の彼らは、浅草の芝居小屋にいました。
当時、ザンギリ物から新劇風に傾向が変わりつつあった浅草芝居を、下町の娘さんやお兄(あに)いさん・ お婆さんたちなどと一緒に、熱気ムンムンの中で見物していたのです。 またある時は、歌舞伎座の楽屋にまで入って、当時売り出し中のお役者たちから、親しく小道具な どの説明を受け、喜んだりしていました。 これらは、みな、『白樺』に集った仲間たちの、十代の後半から二十代にかけての思い出のシーンです。

写真:講演中の亀井志乃先生
先生ご自身も楽しそうです。
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そしてここから、大きく分けて、二つの事柄が明らかになってきます。
一つは、彼らが青少年の頃、つまり自分の感受性や鑑賞眼を確立してゆく大切な 時期には、決して、いわゆるハイ・ソサエティの文化の側だけに身をおいていたのではないという事です。
彼らの行動半径は、好奇心旺盛で新しもの好きな、中流市民層の青年たちとまったく同じ。というより、ある意味では、庶民よりも庶民らしい バイタリティを持っていたと言えるでしょう。
そうした雑多で豊かな経験から、自由劇場芸術協会のような新劇運動にもいち早く感性のアンテナが働く、一種 の“白樺文化”的な精神風土が形成されたのでしょう。

また、もう一つは、その幅広い関心の基盤は、志賀・武者小路などの後に著名となる人たちよりも、 園池公致(きんゆき)・郡虎彦・里見とん・日下(くさか)しん・木下利玄・田中雨村(うそん)等、 今ではあまり取り上げられない方の人たちの方が造り上げたのだという事です。
彼らの出身階級は、非常にバラエティに富んでいますが、変わり行く時代の最先端のエネルギーを、それぞれの独自の立場で吸収してい ました。
そして、各自の見識の違いについては、対談の場などを通じて、対等に意見をたたかわせ合っていました。 だからこそ、互いの知的な経験がますます豊かになっていったのだと思われます。

写真:講演中のスナップ
「ヘエ〜ッ」と、一同トリビア的驚き・・・。
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古い伝統と、最先端のポップな表現との両サイドに同時に立脚しながら、双方の要素を自分たちの中で融合できる。 そうした青年たちが創り上げた『白樺』だったからこそ、大正時代を通じて、様々な創作分野に影響を与え続けたのでしょう。
その意味では、白樺派の作家たちが執筆した戯曲なども、純文学的といった枠組みにとらわれず、 彼らの持っていた自由なイメージの広がりを考慮しながら再解釈しなおせば、また、新たな作品の価値が発見できるのではないでしょうか。

最後は、学習院時代の彼らが卒業生を送る会で上演したという、露探(ロシアン・スパイ)ものの即興劇についてご紹介しつつ、 今回の講座を幕といたしました。(亀井志乃・記)