103.「柳夫妻とバーナード・リーチ」
第二回企画展記念講演会
(第41回面白白樺倶楽部 開催報告)

平成16年10月8日 16時より
講師  水尾 比呂志 氏(評論家、美術史家)
会場 アビスタ中ホール

水尾先生
水尾先生

 「柳さんの名前は"ムネヨシ"と読むんですか?私はずっと"ソウエツ"だと思っていたのですが・・・。」
 「彼は、結局何をした人なんですか?肩書きをつけるとしたら、"芸術家"それとも"哲学者"?」
 「雑誌の『白樺』って、何が書いてあるんですか?」

満席の会場
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 今まで、文学館を訪れてくださった方々から、よくこんな質問を受けました。素朴な疑問のようでありながら、実は確信をもって即答することが難しい質問です。このような時、答を求めて開く本があります。「評伝 柳宗悦」(水尾比呂志 著・ちくま学芸文庫)・・・この本からは、そこに登場するさまざまな人物や場所に、書き手のあたたかなまなざしが常に注がれていることが感じられます。心に残る本として、読者の思考をその作者にまでさかのぼらせていく力を持っている一冊です。「この本を書いたのは、どんな人なのだろう・・・?」と。

講演中の水尾先生
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スライド「リーチ自画像」
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 今回の「面白白樺倶楽部」には、「評伝 柳宗悦」の著者水尾比呂志先生をお迎えすることができました。あいにくの雨模様のその日、それでも会場は予約で満席状態、さらに当日のキャンセル待ちのため、入口でお待ち下さった方たちもいました。(ありがとうございます!)
 水尾先生は、柳宗悦に師事し、兼子夫人の人柄や功績、『白樺』同人たちの交流、また柳とともに民芸運動を展開した、富本憲吉・濱田庄司・河井寛次郎、そしてバーナード・リーチらの活動についても身近に見てこられた方です。その人ならずしては知り得ないエピソードの数々がお話の中で披露され、それは実に興味深く楽しいものでした。その中でも当地我孫子を舞台にした部分を中心に、ここにご紹介します。

スライド「リーチさんと」後列右水尾先生
スライド「リーチさんと」後列右水尾先生
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 日本での暮らしに精神的行き詰まりを覚えていたリーチさんは、しばらくの間中国北京へ行っていた時期がありました。ちょうど初めて朝鮮へ旅していた柳先生は、そこから北京にいたリーチさんの滞在先を訪ね、ふたりで中国のさまざまな文化遺産を見て歩き、特に宋の時代の焼き物がすばらしいという認識を得られたようです。そしてリーチさんから今後のことについて相談を受けた柳先生は「君はもう一度日本へ来るべきだ。日本にもいい焼き物がある。日本でもう一度焼き物をやってみたらどうだ」と勧めます。その頃柳先生は、兼子夫人との世紀の大恋愛を実らせたばかりでした。おふたりのあいだに交わされた書簡の数々はすばらしい内容で、私はぜひこれらの書簡が刊行されるのを願っております。そのおふたりが結婚なさって新居を構えたのが、この我孫子の地です。「三樹荘」として知られているその邸は、手賀沼をみはるかす高台にあり、椎の巨木3本がその頃も今と同じようにそびえていました。当時我孫子は東京の別荘地のようなところでしたが、リーチさんは北京から引き上げてきて、我孫子の新婚の柳夫妻家の、その庭内に窯をつくるわけです。最初の窯は大失敗・・・薪をくべてもくべても温度が上がらなかったのです。窯の造り方が悪かったのでしょう。窯の造り方を改めて、2回目からはうまくいくようになりましたが、7度目か8度目の頃、窯場が火事になってしまったのです。道具も資料もみんな焼けてしまい、リーチさんはガックリしてしまいましたが、ただ窯の中の焼き物はすばらしい出来に焼き上がりました。それでリーチさんも元気を取り戻して「昨日は悪い神様といい神様がいっしょに来た」とおっしゃって喜びました。そういうわけで、我孫子の窯というのは、非常に短い期間だったのです。作品数もそんなに多くはありません。

評伝柳宗悦 バーナードリーチ日本絵日記
当日販売された水尾先生署名入り著書
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 我孫子にいるリーチさんを訪ねて来られたのが濱田さんです。濱田さんは、東京の画廊でリーチさんの作品をご覧になって、そこですでにリーチさんにも会っていたのですが、この我孫子に来られた時、ちょうど柳先生の所に集まっておられた『白樺』の同人たち、志賀さんや武者小路さんとも知り合うことになりました。当時我孫子には『白樺』の方たちが既に住んでいて、皆で手賀沼に舟を出して、釣りをしたり、月見をしたり、たいへん楽しい時をすごしていました。そこへリーチさんも来る、濱田さんも来る・・・。ですから我孫子というところは、単に『白樺』の方たちがいた、というだけでなく、後に民芸運動という柳先生を中心とする活動を展開する芸術家たちの縁が結ばれた地としても、文化史上大変重要な意味を持っている場所であるわけです。この我孫子で結ばれた縁、柳・濱田・リーチ・志賀・武者小路といった方々の交遊はその後ずっと続き、日本の、いえ世界的な芸術がやがて花開いていくのですが、その芸術の故郷といいますか、成育の地が、この我孫子ともいえるわけです。

 講演後、リーチの作品のスライド数十枚が上映されました。「東と西の融合」を願ったリーチの思いは、その作品によく反映され、その時その時に彼が影響を受けたもの、関心を抱いたものが、映像を通して伝わってきました。

人気の署名著書販売
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 90年前、この我孫子の地に、希有な才能を持った人々が集って、創作活動をしていました。彼らが出会い、認め合い、啓発し合った時間と場が確かにここにあったのです。その時人と人とを結びつけたもの、おそらくそれは、共にふり仰ぐことのできる理想、たとえば「美にあこがれ、追い求める心」であったような気がします。
 水尾先生にとっては、20年ぶりの我孫子行・・・雨に煙る手賀沼を、先生はどうご覧になったことでしょう。柔らかな口調に懐かしさをにじませながら、「リーチさん」「柳先生」と話される先生の語り口に、著書「評伝 柳宗悦」そのままの、その人への敬愛の思いを感じ取ることができました。

(西村さち子)