114. 志賀直哉の「城の崎にて」を読み解く

第45回面白白樺倶楽部

講師 清水 正氏
(日本大学芸術学部文芸学科教授、同大学院芸術学研究科教授)
期日 2005年2月18日(金)18時30分より
場所 当館コミュニテールーム


講師の清水教授

手賀沼にももう少しで春が訪れそうな気配です。「けだるい春の陶酔を催させるにはまだすこし空気が冷たすぎるけれど」沼に幾艘もの舟が出て鰻をとっている、その様子を、中勘助は大正10年2月の日記(「沼のほとり」)に記しています。現在、鰻漁をする舟こそないものの、手賀沼を取り巻く自然は当時のままに、春に向けて静かにその時を待っているようです。

今回の「面白白樺倶楽部」は、一昨年10月、我孫子の自然に重ねてご自身の読書体験を語ってくださった清水正先生に再度ご登場いただきました。清水先生は、我孫子在住の文学研究者で、現在は日大芸術学部の教授としてご活躍中です。ドストエフスキーや宮沢賢治についての著作も数多い、気鋭の文芸批評家でいらっしゃいます。


「城の崎にて」初出「白樺」大正六年5月号
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今回のテーマは「志賀直哉の『城の崎にて』を読み解く」です。『城の崎にて』は、志賀が我孫子で書き上げた代表作のひとつで、高校の現代文の教科書にも採られている有名な作品です。大正2年8月15日、志賀は山手線の電車にはねられて重傷を負い、東京病院へ入院します。その後奇跡的な恢復を遂げ、10月中旬には養生のため、但馬の城崎温泉へ出かけました。そこで、蜂や鼠、イモリといった小動物の死を偶然目にし、自分の生と死の意味について考えていきます。この体験をもとに、大正6年『白樺』に発表した作品が「城の崎にて」です。無駄な装飾を廃し、簡潔な言葉で描写された名作として聞こえる短編ですが、ひとつの体験が作品となって実を結ぶまでに4年の歳月を要したことになります。

あらためて『城の崎にて』に向き合い、ひとつのテキストとして読み解いてみると、思いも寄らなかった世界に導かれていく・・・。“読み”のひとつの可能性を、今回示唆していただいた気がしました。以下は、先生のお話の一部を要約したものです。

『城の崎にて』の重要な主題であった「死」を、志賀がどのように捉えていたかについて考えてみるとき、彼が若いころの一時期内村鑑三に師事し、やがてその許を離れていったという事実を、その背景に置いてみる必要性を感じます。彼は、キリスト教でいう〈死後の世界の魂〉の存在を認めず、また人間の「死」に〈復活〉の可能性も認めませんでした。しかしながら彼は、中学の時習った『ロード・クライブ』という本に「何かが自分を殺さなかった、自分にはしなければならぬ仕事があるのだ」とクライブが思うことによって、自分を激励する事が書いてあったのを思い出し、「自分もさういふ風に危ふかつた出来事を感じたかつた。そんな気もした。」と書きます。彼はこの部分で、自分を超越した存在としての〈何か〉を感じるというのではなく、自分の中に潜む〈何か〉をとらえていたような印象を受けます。

一方で、志賀は最初の本『留女』を祖母に捧げ、『大津順吉』を亡き母に捧げています。死んで墓場に葬られている母に著書を捧げるその心境を探ってみれば、畢竟彼もまた死者の霊の存在を信じていたということになるのでしょうか。


清水ワールドに引き込まれて
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『城の崎にて』の中には幾つかの小動物の〈死骸〉がでてきます。私には〈蜂の死骸〉が、まさに十字架から下ろされたばかりのキリストの死体に重なってみえます。昭和33年の「文芸春秋」4月号に、志賀は「私の空想美術館」という文章を載せ、次のように書いています。

ミラノのブレラ美術館にある、アンドレア・マンテニヤの「キリストの納棺」の絵は、複製版画では青年の頃からよく知っていたが、何だかグロテスクで、キリストの顔にも崇高な所がなく厭な絵だと思っていた。7、8年前、欧羅巴に行く時、誰であったか、ミラノでは忘れず、この絵を見るようにと言われ、新しい好奇心を持って見に行ったが、実にいい絵で、非常に感動した。・・・・・この文章を書くために此の絵の複版画を手元に置いて見ているうちに私はキリストの顔を段々立派な顔だと思うようになった。


マンテーニアの
「キリストの納棺」を見て志賀は
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これを書いた時、志賀は75歳です。内村鑑三の許を離れて五十年の歳月が流れています。青年の頃にはこのマンテーニャの「キリストの納棺」にグロテスクしか感じなかった彼が、75歳になって同じキリストの顔を立派な顔だと思うようになっているのです。青年の頃内村鑑三のキリスト教に納得がいかず、その元を離れた彼ですが、キリストに対する彼自身の思いは持続していたと見ていいのではないでしょうか。それは「神に憑かれ、常態を逸脱し、自ら神の一人子と信じ、何年か非常の情熱をもって真理を説き、遂に殺されたイエス・キリスト」という〈人〉の〈遺骸〉を見つめ、深い感動を覚える・・・という質のものです。〈魂〉や〈復活〉を信じない彼ですが、キリストの遺骸に〈美〉を見いだし、そこに〈永遠性〉を感じ取るのです。また絵の画面の隅で泣いている年寄った母マリヤにも注目し、「私はもう少しで貰ひ泣きしさうになつた」と続けます。彼はここに描かれた悲嘆の母マリヤと、自分の祖母留女や実母銀の姿を重ねていたのかもしれません。
志賀にとっての死生観、あるいは宗教観については、青年期から晩年までの間に大きな変遷を遂げており、今なお非常に微妙な解明すべき問題が残っているようです。


どんぐりと山猫も読み解く
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宮沢賢治の『どんぐりと山猫』を例にとりながら、テキストとして作品を読み解くことの面白さを教えてくださった先生は、続いてこの『城の崎にて』でも独自の読み方を提示して、われわれに新たな世界を垣間見させてくださいました。前回同様パワフルでユーモアあふれる語り口・・・先生に指名され、朗読を担当して下さった出席者の皆さま、ご協力ありがとうございました。大学の講義室で授業を受けているような気分を味わうことができました。その後、先生との語らいの中でも和やかに意見交換がなされ、楽しい歓談が続きました。いつの間にか外は煙るような細かい雨・・・確かにもう少しで春です。

(西村さち子)