123. 第49回面白白樺倶楽部開催報告

「志賀直哉の凶気とユーモア」

講師 大津山 国夫 氏 (千葉大学名誉教授)
期日 2005年6月10日(金)18時30分より
場所 当館コミュニテールーム

大津山先生はこの日静岡からおいでくださり「我孫子でお話するのは二回目です」と、興味深い今日のお話を始められました。(以下、先生のお話の要約です)

大津山先生
大津山先生
皆さんご存知のように志賀は大正4年我孫子にやってきました。始めは夫婦ふたりでありましたが大正12年この地を去るまでの足掛け九年ほどの間に、子供が五人生まれ大家族となりますが、気の毒なことに二人の子供を亡くします、しかも生まれて一、二ヶ月の赤ん坊を亡くしたのです。子供を亡くしたことは我孫子時代に書かれた志賀の作品の中に書かれています。
志賀は明治16年(1883年)に生まれ昭和46年(1971年)に亡くなりました。かなり長寿であったといえます。(明治39年24歳 学習院高等科卒業、東京帝国大学文科英文専攻入学。明治43年28歳 有島武郎、武者小路実篤、木下利玄、柳宗悦らと文学同人雑誌「白樺」を創刊、東大退学、徴兵検査を受けて甲種合格、市川の砲兵聯隊に入隊、八日後除隊)
「志賀直哉の凶気とユーモア」ですが、この「凶気」は相手を殺したいというまがまがしい殺意の意味で、狂気とは違うもっと暗く激しい感情です。志賀の二十代から三十代前半はこの凶気と狂気の二つが存在し、ときにその凶気が爆発するのですが、それらの激しい感情は昇華され作品となって結実します。それもやがて迎えた三十代半ばには穏やかなものとなっていったといえます。人間若い時には誰でも凶気を抱えるものですが、三十、四十になっても凶気を抱えているのでは困ったものだと云うことになります。

我孫子時代の10作

沼の上を雁がないて
沼の上を雁がないて
クリックで拡大
大正6年の『城崎にて』 『好人物の夫婦』この作品の冒頭部分「深い秋の静かな晩だった。沼の上を雁がないて通る。」この沼は勿論手賀沼のことです。『赤西蠣太』は、登場人物に全部魚や貝の名前をつけていてなかなか面白い作品です。『和解』は、志賀が少年時代から二十年以上も続いた父親との不仲が和解したことを書いた作品ですが、この中で妻康子の次女出産にたちあった経験を「出産、それには醜いものは一つもなかった。・・・・・総ては美しかった。」と書いています。ある女流作家は自分のお産が間近になると必ずこの『和解』を読み、お産が荘厳で美しいものであることを確認し勇気を得たそうです。大正八年の『十一月三日午後の事』『流行感冒』この二作にも我孫子のことが書かれています。『十一月三日午後の事』は、大正七年の十一月三日(天長節)友人と二人で我孫子の柴崎へ鴨を買いに行った時、軍隊の演習ですっかりばててしまった兵隊に遭遇し、そこで志賀は自分の中にある反戦意識を再確認する作品です。『流行感冒』は当時毎年十一月に我孫子にやって来た旅芸人のこと、二日にわたるその芝居を皆が楽しみにしていた事が書かれています。大正九年の『小僧の神様』、『雪の日』では我孫子に大雪が(二月に七寸五分、21センチほど)降ったときのことを書いています。『焚火』、そして大正十年から昭和十二年にわたって書かれた『暗夜行路』これらが我孫子時代の作品です。

凶気、殺意、殺人の作品

凶気は狂気より暗い激しい感情
凶気は狂気より暗い激しい感情
クリックで拡大
明治44年、志賀は武者小路実篤に対して「兇行を思ふ事があった」「白樺を離れる事、殺す事を思ふ」と日記に書いています。これは志賀の生前中は門外不出でありました。この殺意のきっかけは、長与善郎の作品(「西京行」という紀行文)について、志賀が「主観的過ぎる」という評価をしたことに武者小路が怒って「そんなことは無い、むしろ志賀の主観を押し殺したようなかきぶりこそ読む気がしなくなる」と、友人が何人もいる前で批判されたからだといわれています。だから志賀は「兇行(殺したい)」を思ったのです。二十代、三十代の前半までこうした凶気の作品を書いています.。
しかし二人はこんな経験を積みながら無二の親友となっていったのです。明治41年の『苔の床』『ダイナマイト』いずれも志賀の生前には発表されませんでした。明治43年『剃刀』、明治44年『濁った頭』、大正1年『クローデイアスの日記』大正2年の『范の犯罪』、こうした凶気、殺人をテーマにした作品は大正3年の『死ね 死ね』で終ります。

ユーモラスな作品

大正13年『転生』、『次郎君』 大正15年『死神』 昭和13年『池の縁』 昭和14年『鬼』 昭和29年『いたずら』 昭和30年『夫婦』など
とくに『転生』は面白い作品です。(ここで『転生』の三〜八を先生が朗読されたのですが、あらすじを書きますと次のようになります)

「癇癪もちの口やかましい夫とお人よしの細君がいて、ある朝今度生まれ変わるとしたら何がいいだろうという話になって、この夫婦は鴛鴦(おしどり)に生まれ変わろうと約束します。やがてこの夫は癇癪をおこし続けて亡くなります。細君はほっとしながらも一抹の寂しさを味わうのですが、やがて亡くなります。夫は約束どうり鴛鴦に生まれ変わります。細君はうっかり何に生まれ変わると約束したのか忘れてしまい、狐になってしまいます。要領の悪い細君は、狐になっても要領が悪く獲物を取ることも出来ず空腹でフラフラ、意識も朦朧としているそんな時、夫の鴛鴦に出会います、夫の生まれ変わりだとわかるのですが、空腹で朦朧としていた細君はたちまちのうちにそれを食い尽くしてしまうのです」

講演後の懇話会
講演後の懇話会
クリックで拡大
これは是非読んでもらいたい作品です。(当館に志賀直哉全集が三セットあります)
文豪といわれる夏目漱石、芥川龍之介らが志賀の作品を気にしていたのは、志賀の人間的魅力に敬意を抱いていたからだと思います。虚の世界を小説にする芥川、太宰、川端などとの大きな違いは、志賀が普通の日常生活を描いて優れた作品にしたことです。志賀の作品を随想だという人もいますが随想でも小説でも優れているものはいいものなのです。
(石曽根)