143. 志賀直哉、サロンの日溜り

第59回面白白樺倶楽部開催報告

講師 呉谷充利 氏(相愛大学人文学部教授)
期日 2006年4月21日(金)18時30分より
場所 当館コミュニティールーム

呉谷充利講師
呉谷充利 講師
建築学を専門に学ばれた呉谷先生。ル・コルビジエの建築を研究していたものの、その建築は「完璧な人間」を基にして建てられた物だとの結論に到達しました。では、完璧な人間ではなく、自然のありのままの人間の建築は?と考え、志賀直哉に行き着いたとのことでした。

文学という観点ではなく、建築という異次元の視点から、志賀直哉の精神を紐解こうという趣旨で、画像をまじえての楽しい講演となりました。以下は、学芸員実習生の藤本が、呉谷先生のお話の趣旨を要約したものです。

サロンの位置づけ

サロンとは17〜18世紀の西洋、主にフランスにおいて社交場を指します。近鉄奈良駅から徒歩25分ほどの所にある、上高畑の旧志賀邸宅には、ベランダと呼ばれた瓦敷きの空間がありました。そこが後にサロンと呼ばれる交わりの場となりました。現代はどこか病んでいる。それは何故かと考えた場合、人間関係の変化がまず考えられます。人との交わりがなくなったことで、相手を人として認めていない、傍若無人な状態になっています。
対して、人との交わりを通して生活していた志賀。その彼が設計し、生き様が現れている建築を呉谷先生は研究しているとのことでした。

建築の変遷

会場スナップ
会場スナップ
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志賀の生活の仕方とは、即ち美意識や生き方の現われです。
大正元年から2年間、尾道で下宿生活をします。反目していた父に批判され、家を出た結果たどり着きました。しかし、それは逃避ではなく自分独自の世界の獲得だと言えます。父という現実から、自分を個として再認識するためのものだったのです。
大正3年には京都、4年夏には赤城山大洞へと移ります。そこで志賀は簡素な素材を使用した山小屋風の家を作ります。家は世俗への反骨精神と自己主張だったようです。志賀は「不恰好だが中身はまとも」とその家を自身に例えています。

その後、同年秋我孫子弁天山へ転居します。母屋を建て増し、さらにそこの裏山に3帖、6帖の離れ、大正10年には離れ6畳の書斎を増築し8年弱生活の後、大正12年春、京都の幸町と移り、昭和4年には奈良の上高畑へと至ります。志賀はそこで内外の名建築を参考にして自ら平面図を描き、数奇屋大工として名高い下島松之助に建ててもらいます。

建築から見る

『座右寶』をまえに
『座右寶』をまえに
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浜田葆光(はまだほこう)の茶室と待合は、瓦敷きであるということも含めて、西本願寺の待合に似ています。そこは、志賀が好きな物だけを集めた写真図録『座右寶』にも納められています。

奈良志賀直哉邸サロン
奈良志賀直哉邸サロン
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奈良のサロンも瓦敷きになっていますが、サロンは現実からはなれて自我を認識する場だったようです。上高畑の旧居自体が、路地を通ってたどり着く浮世離れした環境にあります。その中で、サロンは食堂と直結しています。現実を区別していない所に、志賀の遊戯性や合理性が見えるようです。

また、そのサロンを挟んで家族の部屋と書生の部屋が作られています。このことから、公私を別ける合理性が伺えます。

その精神

美術品は説明書ではなく物を先に見る。そういった、物をじかに見る直感が、志賀にはあったと言います。現代では、ものをじかに見ることが減っています。ものをじかにみるとは恐ろしいもので、中には見たくないものもあります。そのため、見るには強い精神力が必要です。それが志賀に備わっていたのが、傑出の理由でしょう。
その直感の視点とは、ありのままを見る不可侵の野生です。現代は便利すぎて飼いならされています。しかし、本当に飼いならせるものなのか、飼いならせないものもあるのではと考えた時、野生とは人の命の尊厳を意味します。だからこそ、山奥という不便の中に便利を見出した、池大雅『十便図』に柳宗悦も感動したのでしょう。



講演中の呉谷先生
講演中の呉谷先生
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志賀は、宗教も人を飼いならすと言っています。キリスト教を受け入れた内村鑑三と異なり、志賀には西洋が根付きませんでした。しかし、西洋と向き合う事で直感や不可侵の野生を得たといえるでしょう。そこには、性を否定せず野生へ引き戻す姿勢があります。それは世間への反逆ではなく、現実から離れ自己をみつめなおす所に繋がります。志賀は『暗夜行路』で、小さい自分が大いなる自然との同一化について記しています。しかし、西洋人の一例としてパスカルは大きい宇宙について、恐怖を覚えています。彼にとって宇宙とは沈黙し応えない物、解き明かすべき対象だからです。科学で宇宙を捉え、対話には至っていません。

自然との向き合い方において、志賀は”私と貴方”といった直感を用いています。対してパスカルは”自分とそれ”であり、そこにおいては、直感を用いていないのです。

父親との対峙で殺すか殺されるかといった場面において、普通は相手を殺して終わりますが、そこで志賀は抱き合って泣くと言う選択肢を選びます。その選択肢こそが志賀の直感であり、このように対象を人としてみることで展開していく、それが志賀に見受けられます。『座右寶』にも納められている如拙の瓢鯰図〈ひょうねんず〉を、彼は見ていると安らぐと言っています。図の人は志賀を、鯰は性と野生を表わし、人が自然を支配するのではなく、自然はその手からこぼれる存在を意味します。また、大正元年の志賀自画像にも、太い眉に目の力といった、自己認識した自分自身が描かれています。
直感による、ありのままであることが、彼の生活に対する語りかけと言えるでしょう。

呉谷講師と懇談 手前より椅子席二人目
呉谷講師と懇談 手前より椅子席二人目
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呉谷先生の穏やかな語りとスライドを用いての映像とで、知識の浅い私にも、非常に解りやすく実りある時間になりました。学芸員になるための実務実習、という縁で参加させていただきましたが、聴講することが出来て良かったと思います。志賀作品を読み直すきっかけにもなりました。呉谷先生におかれましては、素敵なお話を本当にありがとうございました。       
(学芸員実習生 藤本佳緒里)