154.「バーナード・リーチと小泉八雲」

第四回企画展記念講演会

第64回面白白樺倶楽部開催報告

講師 小泉 凡氏(島根県立島根女子短期大学助教授)
期日 2006年9月8日(金)15時00分より
場所 アビスタ1階ホール

ハーンの面影を忍ばせる小泉先生
ハーンの面影を忍ばせる小泉先生

今回の「面白白樺倶楽部」は、第四回企画展「バーナード・リーチ展」の記念講演会として、ラフカデオ・ハーン(小泉八雲)の直系の曾孫にあたる小泉凡氏を講師にお迎えし、「バーナード・リーチと小泉八雲」をテーマにお話をしていただきました。氏は現在、島根県立島根女子短期大学助教授、小泉八雲記念館顧問。2001年9月〜2002年3月:米国セントラル・ワシントン大学交換教授。また、2004年から子供たちの五感力回復をめざす「子ども塾―スーパーへるんさん講座」の塾長をつとめられています。以下、今回の講演の一部をご紹介します。  

満員札止めの会場
満員札止めの会場
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1、小泉凡氏の名前の由来

ダグラス・マッカーサーの最も信頼する部下であるボナー・フェラーズ(Bonner Fellers)はラフカデオ・ハーンの大変な愛読者であり、1932年頃から小泉家を度々訪問されるようになっていました。凡氏の祖父である小泉一雄は、ボナー・フェラーズの人柄に惚れ、初孫が生まれた時にBonnerのBonから「凡」という名前をつけました。ボナー・フェラーズはハーンの本を愛読していたことにより、日本の宗教は祖先崇拝であるというふうに理解していました。フェラーズの最大の業績は、GHQ総司令部内に昭和天皇の戦争責任追及する声があがる中で、「天皇に関する覚書」を作成し、民衆の生ける象徴である天皇を裁判にかけることになれば、日本国民の精神的支柱を否定することになると説き、将来の日米関係をふまえたうえでも天皇を東京裁判にかけてはならないことをマッカーサーに進言したことです。

2、リーチの来日の動機

柳宗悦は朝鮮においての八雲になることを目指した
柳宗悦は朝鮮においての
八雲になることを目指した

リーチは1906〜1907年頃、小泉八雲(Lafcadio Hearn)の本は、日本に関する本のみならず初期の西印度に関する本も読んでいました。それらの本を通して「他国人」に対する同情、即ち非ヨーロッパ人、黒色人、褐色人或いは黄色人種に対する同情が芽生えます。そして、東洋に対する好奇心が育ち、リーチは日本の現状を知ろうと日本への来日を決心したのです。

3、共通するふたりの性向

リーチとハーンには、アイルランド人の乳母に育てられる、母性愛に飢える、カトリックの学校に失望して信仰を失う、日本に関心を抱く、英語教師として生計をたてる、放浪生活を好む、など多くの共通点がありました。

〇樹木に対する共感
リーチは樫(oak)の木に特別なadmiration(敬服の念のようなもの)を感じており、「ライオンが獣の王であるように、オークは樹木の王だ」と評しています。また、好きな木があると「遥かにgirlよりいい」といって抱きつき、「自然を見て興奮してくると樹に登りたい本能が起こる」といってはよく樹登りをしていたようです。対する八雲は、樹木には魂があるという考えを持っており、「樹木は人間の効用のために創造された。昔の西洋の正統な考え方などよりも、かえってこの方が、はるかに宇宙的真理に近いものとして首肯できる」と述べています。

〇カトリック信仰への懐疑
リーチとハーンはカトリックの学校を嫌っていました。ハーンにいたっては「教会の鐘の音が聞こえるところには住みたくない」と言っていたほどで、僧侶たちの偽善的な行動に非常に不信感を抱いていました。しかし、2人ともキリスト教の教義そのものが嫌いなのではなく、学校の教育に結びついた段階でいろいろと問題が出てくると感じていたようです。キリスト教を客観的に見られたからこそ、リーチは民藝への理解と共感を得ることができ、ハーンは邪道で正統文化ではないと言われる混血文化のクレオール文化、神道、への理解と共感を得やすかったのではないでしょうか。

4、手賀沼と宍道湖―白樺派と八雲をめぐって―

〇リーチの松江訪問、舩木邸からの宍道湖
リーチは1934〜1964年の間、計5回松江を訪問しています。
初訪問の理由:舩木忠道の布志名黄釉が英国の黄釉と酷似し、八雲ゆかりの地であるからです。舩木の工房で作陶しながら1ヶ月滞在し、地元の陶工を指導、阿部栄四郎の出雲民藝紙を英国に紹介し、後に舩木研児をセント・アイヴスに招待しています。

〇志賀直哉(1915〜我孫子)と八雲
八雲を愛読し、松江での生活体験が生きて『暗夜行路』で大山の描写に成功します。小さな生き物の生死をも非常に大事なものとして受け止める心がハーンと志賀直哉には共通してありました。また、それをつぶさに観察する五感力のようなものも両者は持ち合わせていました。装飾を排した文章の書き方をハーンから学んだだけでなく、もっと奥のところに共通点があったようです。

〇柳宗悦(1914〜我孫子)
『柳宗悦全集著作篇』第1巻「我孫子から 通信一」で「茲へ來た事は自分にとってはいい決行だった。此土地は凡て無益な喧騒から自分を隔離さして、新しい温情を自分に贈ってゐる。自己の性情を育む上に自然はその最上の風調を示してくれた。今は水も丘も自分の爲に静かに横はっている。家は手賀沼に臨んで樹に圍まれた丘の上に建ってゐる。朝日は特に美はしい光と熱とを茲に送ることを愛してゐる。」と言っています。リーチとハーン、柳ら白樺派の文人たちは、水のある風景を好み、自然を愛したので、我孫子や松江に住みました。

5、内なる日本の洞察と表現

ハーンのお話に反応して揺れ動いた?リーチの花瓶
ハーンのお話に反応して揺れ動いた?
リーチの花瓶
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「……おそらくいままでハーンほど日本の内面から味わい得た人は無いであろう。外国人の書いた日本に関する本が何百あるか知らないが、ハーンの著作ほどその美しさと鋭さと温かさとに充ちたものはないであろう。」(「朝鮮人を思う」『柳宗悦全集著作篇』第6巻」と柳宗悦は話しています。


自然に恵まれた小さな我孫子という町が白樺派の人々を通じ、リーチを通じ、ハーンを通じ、世界につながっているということを今回の講演で感じ取ることができたと思います。実習中に講演があり、貴重な体験ができました。

(学芸員実習生 古井・金子)