162.「柳兼子カレー考証」(6)−カレーでまちおこし−
第67回面白白樺倶楽部開催報告

講師 講師 石戸孝行氏 (京北スーパー相談役)
期日 2006年12月8日(金)18時30分より
場所 当館コミュニティールーム

面白白樺倶楽部恒例の「柳兼子カレー考証」も2001年12月第一回の講演から回を重ね六回目の開催となりました。味と食文化を求めて全国、世界を駆け巡る旅人(たびし)石戸孝行講師にご登場願いました。石戸氏は白樺派の文人が愛した美しい手賀沼をたたえ、風光明媚な手賀沼を取り戻すべく、地域経済の活性化と芸術文化の融合に取り組まれ、環境オペラ「手賀沼賛歌」の上演実行委員長とし手賀沼を全国にアピールしていただいております。「兼子カレー考証」も熟成を重ね6年、我孫子のまちおこしの花形商品とすべく、「我孫子に文学カレーを作る会」の委員会をリードする主要メンバーとして、我孫子市商工観光課と共同にて、関係先と精力的な打合わせを行なうなど大活躍中であります。来年には是非実現されますよう期待しております。本日は以下の三部構成による充実した面白白樺倶楽部の納会となりました。

第1部 白樺文学兼子カレーの講演
第2部 長堀 美佳  大久保正子 フルート ミニコンサート
第3部 カレーパーティ


第1部白樺文学柳兼子カレー

熱弁の石戸講師
熱弁の石戸講師

過去5回講演された総集編としてお話がありました。そもそも「白樺文学兼子カレー」の始まりは、雑誌「民藝」昭和45年8月号の記事「思い出すままに(柳兼子・談)」のなかでリーチさんが

「カレーライスに味噌を入れたらうまいだろう」という−発案で、「田舎の粒味噌入りの美味しいカレーライスが出来ました。」

と掲載された記事でした。これを読んだ高木繁吉(我孫子市役所)さんが「味噌入りカレー」を再現してはという提案がそのきっかけとなりました。食材の仕事柄、私の命題と思い「兼子カレーの再現」に取り組むことになったのです。いざ取り組んでみますと、色々勉強しなければいけないので、早速、我孫子図書館の会員になり、資料を集め研究を始め、カレーの歴史から勉強しました。

明治・大正・昭和のカレー考証・年譜

バーナード・リーチが我孫子にきて柳家に寄寓したのは、大正5年の暮れから大正8年5月我孫子窯が焼失する間の2年6ヶ月です。この当時我孫子には食材を売るお店がほとんど無く、週一回兼子さんが東京に音楽の指導に出かけた折に上野近くで、肉や、野菜、香辛料を調達したようです。リーチも東京青山に家があり、週末に帰り、我孫子窯にもどるとき、食材を調達してきたとおもわれます。そのような食料事情のなかリーチの発案があったとおもわれます。

名調子に聞きほれる会場
名調子に聞きほれる会場
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明治37年5月「家庭雑誌」に「カレーの味噌汁」の作り方が掲載され、普通の味噌汁を少し濃く作りできあがったところで、1合につき小匙に半分から1杯のカレー粉を加え、あたたかいご飯にかけて食べる。汁の実は鳥、牛肉のたたき、もしくは脂の強い魚と葱、にんじん、かぶなどの取り合わせが適当です。あるいは玉葱とカレー粉を脂肪でいためてから、加えてよろしい、と紹介されていることから、リーチ発案の「味噌入り兼子カレー」とのつながりで、兼子さんがこの家庭雑誌を読んでいたか興味深いところです。

柳宗悦・兼子夫妻が我孫子に来たのが大正3年9月、志賀直哉夫妻が大正4年9月武者小路実篤夫妻が大正5年12月、そしてリーチが大正6年〜大正8年に居住したこの時代の食料事情を考察すると、大正3年第一次世界大戦が勃発した前後から、牛肉が高騰し入手が困難になったことなどもあり、大正4年頃から豚肉がカレーに使われ始めたようです。そうした当時の食料事情を考慮して、本日のカレーは豚肉を使用しました。

大堀川に鮭が遡上

産卵場所を作る大堀川の鮭 2006年11月29日 撮影石戸講師
産卵場所を作る大堀川の鮭
  2006年11月29日
撮影石戸講師
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11月29日NHK総合テレビ 首都圏ニュースで「住宅地の川に鮭が遡上」と報道されました。11月30日朝日新聞ちば首都圏版で「手賀沼抜けてサケ遡上」と報道 〜柏・大堀川 40〜50センチ、6匹確認〜 高田小学校裏の新堤橋下の大堀川で、メスの鮭が尾びれで川底に産卵床を掘り、その後ろをオスの鮭が追っかける等産卵行動を繰り返している。高田小学校のエコクラブの児童たちが発見したもので、産卵の可能性が高いと思われる、とのこと。大堀川は、手賀沼、手賀川、木下(きおろし)の排水機場を経て利根川につながっているので、利根川を遡上してきた鮭の一群が機場の排水口を遡り、手賀川、手賀沼を経て大堀川にたどり着いたらしい。手賀沼および大堀川上流には北千葉導水事業により水質浄化のために利根川から取水した大量の水が流されているので、利根川の上流へ向かっているものと思い違いをして遡上したと思われます。手賀沼および大堀川の水がそれだけきれいになったという証明でもあり、孵化した鮭が4年後再び戻ってくることを期待しましょう。

美しい手賀沼の夕日
美しい手賀沼の夕日
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『大正10年3月 柳宗悦・兼子夫妻もいよいよ我孫子を去ることになった。『改造』の瀧井孝作、船頭の三造、書生の近藤らが見送りにくる。柳は言った。「手賀沼の霊気に触れたのは、私だけじゃない。志賀も、武者も、リーチもだ、みんな手賀沼から明日の活力を得て、力強くはばたいていったんだ。手賀沼は私の太陽だった。手賀沼はわが青春のすべてだった。」見送りの孝作も三造も近藤もみんな泣いている。少し歩いてふと立ち止まった兼子は、感慨深げに言った。「あなた夕焼け富士が見えるじゃないの」「まるで、リーチのエッチングのような夕日だなあ。」

ここでオペラ「手賀沼歌」の幕が下りる。』名調子の石戸さんの講演が終わりました。


第2部 長堀美佳 フルート コンサート 伴奏 大久保正子

フルートの長堀美佳さんと伴奏の大久保正子さん
フルートの長堀美佳さんと
伴奏の大久保正子さん
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我孫子高校・武蔵野音大卒の我孫子在住の長堀美佳さんのフルートコンサートが始まりました。

$落ち葉
$初恋(石川啄木)
砂山の砂に腹這い 初恋の いたみを遠くおもひ出づる日
$宵待草(竹久夢二)
待てど 暮らせど こぬ人を 宵待ち草の やるせなさ 今宵は月のでぬさうな
$赤い靴(野口雨情 作詞 本居長世 作曲)
赤いくつはいてた 女の子 異人さん連れられて 行っちゃた 横浜のはとばから 船に乗って 異人さんに連れられて 行っちゃった
$ペチカ(北原白秋 作詞 山田耕作 作曲)
雪のふる夜は たのしいペチカ ペチカもえろよ お話しましょ 昔 昔よ
もえろよ  ペチカ
$ベニスの謝肉祭(P.C.ジュナン作曲)

ジュナンの曲を演奏する長堀さん
ジュナンの曲を演奏する長堀さん
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フルート奏者にとって高度な技術が要求される。あの受難の曲かといわれているベニスの謝肉祭を演奏していただきました。

身近な曲から感謝祭まで叙情味あふれる美しい演奏に白樺文学館は深い感動につつまれました。

第3部「白樺文学柳兼子カレー」パーティ

素晴らしい演奏の余韻の残るなか、兼子カレー再現の発案者である我孫子市役所の高木繁吉さんによる乾杯の発声で、兼子カレーパーテースタートとなりました。

カレー再現提唱者の高木さん
カレー再現提唱者の高木さん
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本年はバーナド・リーチの企画展を開催中のなか、リーチ発案の味噌入りカレーに豚肉が食材に使われ、肉や野菜の甘みがミックスしまろやかな風味となりました。実に美味しいカレーでありました。90年前の兼子さんの作ったカレーの味をしのびながら、そして白樺派の文人たちが、新しい時代に向けて懸命に生きたのではないでしょうか、そんな想いを胸にカレーを頂きました。



兼子カレー
兼子カレー
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リーチは「我孫子時代は私の生涯最も幸福な期間でした」と晩年残した自伝に述懐しています。兼子カレーをいただきながら、リーチと同じ様な幸せな時間を持つことが出来ました。幻の焼酎「森伊蔵」も登場し、大いに盛り上がりました。本日はフルート演奏の長堀美佳さん、伴奏の大久保正子さん演奏本当に有難うございました。

皆様どうぞ良いお年をお迎えください。「白樺文学柳兼子カレー」によるまちおこしの成功、そしてまた来年も「白樺文学館」と「面白白樺倶楽部」をよろしくお願いします。                            

(矢野正男)