166.「小林多喜二は生きている――『蟹工船』、小説からマンガまで」

第69回面白白樺倶楽部開催報告

講師 島村 輝氏 (女子美術大学教授)
期日 2007年2月9日(金)18時30分より
場所 当館コミュニティールーム

2月20日は志賀直哉124歳の誕生日とともに多喜二29歳での没後74回忌を迎えることとなります。
多喜二のこよなく敬愛した志賀直哉は、昭和25年発行の岩波新書「私の信条」のなかで

「一人の人間がこの世でした精神活動はその人の死とともに直ちに消えうせるものではなく期間の長短はさまざまであろうが、あとに伝わりある働きをするものだということを信じている。優れた人間たとえば釈迦、孔子、キリストのような人の精神活動は弟子たちによって不滅といっていいほど伝えられる。人に忘れ去られたときがその人の本当の死である。思い出され、折にふれて語り継がれ、作品が読まれつづけられるならば、その命は不滅である。」

と述べています。
この残された言葉のとおり昨年11月に発刊されました多喜二の「マンガ蟹工船」が、いま全国に大きな反響を巻き起こしつつあります。

多喜二の生まれた秋田県、北海道など全国各地の新聞で発刊の意義などについて報道されたほか、講演会当日の毎日新聞地域ニュース(千葉西北版)として全三段トップに「格差社会鋭く批判」「現代学生に説得力」と言う見出しと写真入記事が掲載されました。

毎日新聞記事
毎日新聞記事(本文記事 自費3億円余りは5億円が正当)
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島村講師
島村講師
今まさに多喜二は現代に新たな命を持ってよみがえり語りかけているといえます。
今回は現代日本における多喜二の専門研究者・島村先生に、講演をお願いしました。パソコン、ビデオ、プロジェクターを駆使して資料の解説、画像、音楽などをまじえての講演は、大変わかりやすく楽しいひと時でありました。

今回の特別ゲストとしてマンガ「蟹工船」を描いた漫画家藤生ゴオ氏にもご参加いただき、ご挨拶と著書のサイン会も開催されました。また当日は多喜二の母校小樽商大の後輩30名近くの申し込みで満員となり、ご常連ならびに一般のお客様のご希望に添えることが出来なかったことをお詫びいたします。
以下講演の概略です。

1.はじめに

島村先生は、大学(東大国文科)の卒論、大学院修士論文は小林多喜二研究を専攻され、当時の指導教授を大いに驚かせたということです。つい最近までは多喜二研究の諸先輩はご高齢になり、現役の研究者はほとんど先生お一人という状況が続き、その意味では文字通りの「第一人者」でありましたとのご挨拶で会場は爆笑となりました。

卒業後20年間はまさに孤独なる研究生活でしたが、今から4年前多喜二生誕100年没後70年記念の白樺文学館多喜二ライブラリー主催のシンポジウムが契機となり、第2回、さらに第3回目が中国で開催されるなど多喜二研究をめぐる状況が一変しました。短期間における多喜二関係書の発刊、演劇「小林多喜二―早春の賦」の全国各地での上演、映画では「時を撃て・多喜二」の完成と上演などで、単に量的変化のみならず研究上の質的転換をもたらすことになりつつあります。これまでプレタリア文学に関心の薄かった国文学界からも注目され、若手研究者も含めた論文集「『文学』としての小林多喜二」が昨年秋に刊行されるなど、孤独な第一人者から脱しつつあるとのことです。

2.『蟹工船』原作小説

劇化された帝劇のプログラム
劇化された帝劇のプログラム
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原作『蟹工船』は1929年(昭和4)5〜6月号に連載され、発表直後の7月には『蟹工船』を改題した「北緯五十度以北」という題名で帝国劇場にて上演されました。単行本は即日販売禁止となるも、改訂・再版を重ねて3万5千部が売れ、当時の文壇を震撼させました。

蟹工船切手
蟹工船切手
マンガ蟹工船
マンガ蟹工船

中学、高校の教科書にも取り上げられ、読んだことはなくともよく知られている「蟹工船」が、このたびマンガ化され大変出来のよい作品として発売されました。しかしマンガ本の世界は、最近の『のだめカンタービレ』などのごとく書店には山のように積み上げられて発売されるという業界のため、当初は書店には目に付かなかったマンガ『蟹工船』も、全国紙への広告、秋田、北海道などの地方新聞での紹介記事などで大きな反響を起こしつつあり、最近では池袋の大型書店ジュンク堂で平積み販売されるのを見て、うれしくて思わず買いたくなったそうです。

読者層はごく普通の家庭の主婦、あるいは一般学生さんなどであることが個人発信のブログの書き込みなどでわかりました。読後の感想も「これはタダゴトではない!」とばかりに、なかには「現代の格差社会」にも共通するなどと、掲示板に書き込み投稿が増え社会現象化?しつつあるともいえます。

『蟹工船』とは1920年頃(大正9)千島列島あたりで、日露戦争の戦利品の船を改造した母船と川崎船という小型キャッチャーボートから構成されていました。川崎船は母船を離れ巻き網でタラバ蟹を採り、母船内の工場で缶詰にして本土に輸送する仕組みで、冷凍保存技術が未発達時代の産業でありました。

小説『蟹工船』は、その船を漁業会社がチャーターして、会社派遣の監督が船長以上の権限を持って乗り込み、陸地から離れた船の中では各種法律の及ばないことから、地獄のような労働条件もとで酷使されていた季節労働者の実情が描かれます。ついにたまりかね暴力的で残虐な監督浅川に対抗すべく、底辺の乗組員が団結しストライキを起こすものの、最後には会社側の要請により武装した海軍が乗り込み、鎮圧されるという状況が描かれています。

3.映画『蟹工船』

映画のシーン
映画のシーン
(出演の山村聡監督)

1953年(昭和28)多喜二生誕50年に、俳優から転出の山村総が独立プロダクションとして第一回の脚色・監督にあたりました。山村聡は島村先生の直接の先輩(東大文学部国文科卒)とのことで不思議なご縁でもあります。撮影監督・音楽はそれぞれ「ひろしま」の宮島義勇、伊福部昭、キャストは監督兼の山村聡自身、森雅之、日高澄子、花沢徳衛らでありました。蟹の捕獲シーンは実写フィルムで、船内場面はセットで撮影され、ラストシーンの決起した乗組員が海軍に銃殺され、血ぬられた海軍旗がオーバーラップされた場面が音声入りプロジェクターで映写されました。

4.中国の連環画と藤生ゴオ先生の「マンガ蟹工船」

映画「蟹工船」は中国に公開された後、それを元に連環画という紙芝居風のコマ漫画に製作されたことは注目されます。このなかでは、映画の筋書きとは異なり団結した工員労働者が立ち上がり勝利するという結末は、お国柄を反映しいかにも中国らしいといえます。
連環画0011とマンガ
連環画0011とマンガ

5.まとめ

終了後著書にサインする藤生ゴオ先生
終了後著書にサインする藤生ゴオ先生
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小説からマンガへ、マンガから小説へ、さらにジャンルの移動による表現の変化が、また小説、演劇、映画、マンガそれぞれに表現の特質が原作に、より多面的な深みが加えられています。

しかし各種の媒体で表現された蟹工船の原作に立ち戻り、一度読まれた方はぜひもう一度お読みいただきたい。小説は言葉そのものでしか表現できない部分があり、その特質は多様な比喩はこの作品の文体上の一大特徴となっています。マンガ「蟹工船」後半に掲載されている私の解説を合わせお読みいただき「そういうことだったのか」ということを、ぜひ実感いただきたいと今回の講演を締めくくられました。
(渡辺貞夫)