170.「柳宗悦のこと」

第71回面白白樺倶楽部開催報告

講師 杉山享司 氏 (日本民藝館学芸員)
期日 2007年4月13日(金)18時30分より
場所 当館コミュニティールーム

杉山講師
杉山講師
第71回面白白樺倶楽部は、前回ご紹介したバーナード・リーチに続き、彼の終生の友であり、我孫子時代には寝食ともにした柳宗悦について、日本民藝館学芸員の杉山享司先生にお話をうかがいました。杉山先生は、東京駒場の日本民藝館に勤務される傍ら、柳宗悦研究、また民藝の研究に関する数々の著書があり、講演も精力的にこなされています。当日は講演の中で貴重なビデオ(45分)「柳宗悦のこと」も活用してくださり、柳宗悦の生前の元気な姿を随所に見ることができました。特に興味深かったのは『用の美』という言葉でした。柳宗悦の民藝思想はまさに現代の日本の日常生活にこそ欠くべからざるものであると確信することができました。以下は杉山先生がまとめられた講演の概要です。

柳宗悦と日本民藝館

民藝運動の創始者として知られる柳宗悦は、1889年に東京に生まれる。学習院高等科在学中に雑誌『白樺』の創刊に参加。白樺派の同人達やバーナード・リーチとの親交を通じながら、宗教哲学や西洋近代美術などに親しみ、1913年に東京帝国大学哲学科を卒業した。翌年、声楽家の中島兼子と結婚。千葉県我孫子に移り住む。
浅川伯教・巧を介して知ることとなった朝鮮陶磁器に魅了された柳は、1916年以降たびたび朝鮮半島へ渡る。そして、民族固有の造形美に眼を開かれ、朝鮮の人々に敬愛の心を寄せるとともに、1924年にはソウルに朝鮮民族美術館を開設した。
この頃に行われた木喰仏調査の旅は、同時に「手仕事の日本」を発見する旅でもあった。また、リーチと共に渡英した濱田庄司が持ち帰った英国スリップウェアとの出会いも、柳の関心を民衆の日常品に向かわせる大きな契機となった。

1925年、陶芸家の濱田や河井寛次郎らと共に、民衆的工芸の意味から「民藝」という語を造り、『日本民藝美術館設立趣意書』を発表。1934年には日本民藝協会を発足させて、民藝思想の普及に力を注いでいった。

1936年、実業家大原孫三郎氏らの援助を得て、東京・駒場の地に「日本民藝館」が開設される。柳宗悦は初代館長に就任し、1961年に72歳の生涯を閉じるまで、ここ拠点に活動を展開した。
主な活動としては、日本各地への手仕事調査、沖縄への工芸調査と言語政策をめぐる論争、アイヌや台湾先住民の工芸文化紹介、茶道改革についての提言、そして仏教の他力本願の思想に基づく「仏教美学」の提唱などがあげられる。

日本民藝館には、日本及び諸外国の陶磁器・染織品・木漆工品・絵画など約17000点が収蔵されている。なかでも、日本の古陶磁(伊万里・瀬戸・丹波焼等)、大津絵、沖縄の染織品や陶器、朝鮮王朝時代(李朝)の陶磁器や民画、英国古陶(スリップウェア)などは特色ある蒐集品といえよう。

 

柳宗悦の仕事

1.「美の標準」の提示
日本民藝館
日本民藝館
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柳は「美」とは何かを、言葉ではなく具体的なモノによって指し示した。その意味では、まさに日本民藝館そのものが「美の標準」といえよう。
美しさには様々な相があるが、その中でも柳は、民衆の暮らしの中に息づく工芸の世界に心惹かれた。すなわち、それまで誰も美的対象物として評価することのなかった「下手物」と呼ばれる日用雑器の中に、「健康な美」や「用の美」を見出し、「民藝」という語を誕生させたのである。
柳は優れた「眼の人」であった。その柳が、モノを見る際の最重視にしたものは、自らの「直観」である。これは、理論や知識などの既成概念にとらわれず、無垢な感受力を働かせ、曇りのない眼でモノを見ようとする独自の鑑賞態度であった。

2.理論の構築
日本民藝館正面
日本民藝館正面
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自然の恵みや伝統の力といった、他力をも味方につけた工人(職人)の虚心な手仕事によって生まれた民藝品がなぜ美しいのかを、柳は「民藝美論」と呼ばれる独自の理論によって説いた。
これは、美と宗教的真理は同じであるという確信のもと、用いるための器物に宿る美の神秘を、仏教の他力本願の思想に基きながら理論化したもので、「美の他力道」という言い方もされる。

1928年、柳による本格的な工芸論が『工藝の道』として集大成された。その中で柳は、工芸美の性格を述べ、いかなる工芸が最も美しいかを説き、そして来るべき工芸のあり方を示した。
柳は、工芸の本道ともいえる民藝品の持つ特性や価値について、以下のように説明している。

1.実用性:鑑賞を目的に作られたものではなく、用いるために作られた。使いやすさを追求することで、次第に形が研ぎ澄まされ、美しい形状が生まれてくる。2.無銘性:無名の工人によって作られたものである。彼らは品物に銘を入れずに仕事をした。つまり、自らの名を誇るのではなく、出来上がった品物や仕事の質で勝負をした。3.多量性と廉価性:民衆の日用生活の需要に応えるためには数多く作る必要があった。また、日常で使うにふさわしい、買い求め易い適正な値段も同時に求められた。4.地方性:各地の風土や生活様式に根ざして作られた生活の道具には、独自の形や色や模様といった、豊かな地域性が色濃く現れている。5.協業性:良い品を数多く効率よく作るためには、伝統に培われた熟練の技による協同の作業が必要となる。熟達した職人たちが互いに助け補うことで、はじめて美が保証されるのである。

3.理論の実践
会場風景
会場風景
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理論の構築にとどまらず、「美の生活化」や「手仕事の復権」の目指す民藝運動を実践していったところに、柳宗悦の真骨頂がある。
柳は、単に伝統文化の伝承や保存を望んだのではなかった。伝統の中に現れた「美の標準」を示し、それを来るべき工芸のあり方へとつなげていったのである。そして、同時にその活動は、近代化の中で忘れ去られていった伝統的な生活文化の再評価や、人間とモノとの本来の関係を取り戻そうとする試みに直結していった。
具体的な実践活動は次の4点である。
  1. 民藝思想の賛同者や支援者を組織し、各地に活動母体となる民藝協会や民藝館を作り、活動を展開していった。
  2. 百貨店等で展覧会を実施したり、民藝品の流通拠点となる「民藝店」を創設して、各地の優れた民藝品を紹介していった。
  3. 出版物や講演会などによる民藝思想の啓蒙。(画像4雑誌「工藝」第1号)
    [雑誌『工芸』(1931)、雑誌『民藝』(1957)]
  4. 民藝思想に共感する工芸作家の活動を鼓舞し、また、各地で新作工芸品の制作指導を行った。
    ( 濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチ、芹沢_介、棟方志功、黒田辰秋など )

民藝運動の現代的意義

1.各地に残る伝統的な文化の再評価と、地域の独自性の尊重
中見真理著『柳宗悦―時代と思想』表紙
中見真理著
『柳宗悦―時代と思想』表紙
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柳宗悦は、個性豊かな地域文化が栄えることで、はじめて日本の文化全体が輝くのだと考えた。
国際関係思想史を専門とする中見真理氏(清泉女子大学教授)は、その著書『柳宗悦―時代と思想』の中で、「強者の力によって世界が一色になることに抗い、大小の草花が共生する自然界のような『複合の美』の世界を、非軍事的方法によって作り上げていくこと」が、柳宗悦の生涯を貫く問題意識の核心であったと指摘している。そして、この「複合の美」の思想は、近代日本人が持ちえた内発的で良質な平和論の一つであると、高く評価しているのである。
「古きを守るも開発なり」という柳の言葉がある。これは「モノ」のみならず、生活文化全般にもあてはまることであろう。各地域に根ざした生活様式や、先人の残した暮らしの知恵を、もう一度振り返り再評価していく努力が、グローバル化の波や市町村合併の流れに抗していく有効な手段となろう。

2.「スローライフ」と民藝思想
最近、民藝と「スローライフ」との関係が注目されている。「ゆっくり豊かな暮らし」をスローガンに、流行に流された華美な生活や、性急な生き方への反動として生まれた、この生活スタイルの提言には、民藝運動との共通性が読み取れる。
民藝品の良さは、環境に優しく使う人にも優しいところにある。また同時に、リサイクルやリユースといった資源の循環・再活用や、無駄なものは「作らない」「使わない」といった生活の流儀も、まさに民藝的な生活様式と言えよう。
自分の暮らしがどうあるべきなのかを、スローライフという新しいキーワードを切り口にして、民藝思想と照らし合わせながら一考してみることも大切であろう。

3.人間とモノとの温かな関係を修復する手立てとしての民藝運動
手仕事が主流であった時代の、モノを介した「作り手」と「使い手」の深く温かい相互関係を、我々はゆめゆめ忘れてはならないであろう。
モノから作り手の顔が見えた時代には、作り手側も使う人やその家族の顔を思い浮かべながら、手間をかけ愛情を込めて作り上げていった。しかし、現在はどうであろう。

「住宅」や「食」の安全の問題も、決して別の次元の話ではない。これからは、生活者自らが「生活の目利き」となって、心豊かに安心できる生活を送るため、モノとの疎外感を自らの手で克服していかなければならないであろう。